2007年09月10日

写真展企画書

今年の12月15日から東京都写真美術館での開催する写真展の内容を企画者の鈴木佳子学芸員の許可を得て以下に記述します。
おおよその内容掴めていただけるのではないかとおもいます。
今後、この写真展たち立ち上げの過程を出来るだけレポートしてゆきたいと思います。
タイトルが未だ、確定しておりません。
これは、私の逡巡に原因があるかもしれません。
いつもタイトルは、最後迄引きずってしまうのが、私の常のようです。

〜時代を透視する眼〜
土田ヒロミの ニッポンの記録
東京都/東京都写真美術館/産経新聞社

◆はじめに◆
東京都写真美術館では、土田ヒロミの個展を開催する。
1960年代終わりから写真家として本格的な活動を開始した土田は、日本の土俗的な文化、ヒロシマ、高度経済成長、バブル経済などのテーマを通して、変貌する日本の姿を撮り続けている。
土田の視点はつねにユニークである。
作品ごとに明確なコンセプトを持ち、日本という国に対する問題意識を実験的ともいえるアプローチで表現してきた。
「自己表現」と「徹底的な記録」の両面を行き来することで進化を遂げてきたこの作家の作品からは、社会性と時代性を兼ねそなえた背後に日本が抱える問題を汲み取ることができる。
ここに東京都写真美術館が重点的にコレクションした土田作品に加え、最新作を含め氏の作家活動の軌跡を一堂に紹介する。
新たな時代が動き始めた現在、土田作品を見ることで日本いう国と自分自身との関りを考察する機会の場としたい。

◆展覧会情報◆
会期:2007年12月15日(土)〜2月11日(月)
場所:東京都写美術館 3階展示室
主催:東京都/東京都写真美術館/産経新聞社

◆展覧会出品作品◆
パートⅠ 日本人
○ 「俗神」 過去に繋がる私(1968-74)
○ 「砂を数える」 高度成長 都市化する私(1975-89)
○ 「パーティー」 バブル経済 踊る私(1980-90) 
○ 「新/砂を数える」 新世紀 Fake化する私(1995-2004)
○ 「続/俗神」 日本のまつりを記号化(1980-2004)
パートⅡ ヒロシマ
○ 「ヒロシマ1945〜1979」(1976-79)
○ 「ヒロシマ・モニュメント」(1979-90)
○ 「ヒロシマ・コレクション」(1982-94)
パートⅢ スペシャル・コーナー
○ Aging(1986年) Dailyセルフポートレイト (1986- )
(ビデオ作品、インスタレーション)

◆作品解説◆
「俗神」-過去に繋がる私-
1968年から1975年に、日本各地を撮影取材。1971年、フリーランスになる際、自分自身を検証するために、まず日本文化に対峙する必要性から生まれた作品である。
日本の古い宗教的な空間や祭りの空間、富士山、伊勢神宮、吉野、青森など土俗的かつ時代をまたいで継承した文化、人々を捉えた。

「砂を数える」 -高度成長 都市化する私-
1975年から1985年までに日本各地で撮影された日本人の群集としての姿。
「俗神」が一段落した1975年から、ほぼ10年間にわたって、首都圏を中心に撮りためたシリーズで、福井の山村を離れ、都市化していく自分自身の存在のありようを対象化する試みから進められた。
「お祭り(初詣・花見を含む)」、「レジャー・行楽(遊園地・海水浴・博覧会など)」、「天皇行事」、「街頭・公園」、「学校儀式」、「戦争被災者慰霊」、「メーデー」、「スポーツ・ギャンブル」。日本人が、1980年代前後の時期、どのような機会に「群集」を成しているのか見て取ることができる。

「パーティー」 -バブル経済 踊る私-
1980年から90年まで、バブル経済に沸く日本の異常ともいえる一時期に、当時どこかしこで開かれていた「パーティー」。「パーティー」というハレの舞台に、華やかな衣装で身を包み、派手なメイクとヘアスタイルで夜な夜な出没する人々の姿を捉えている。
「俗神」「砂を数える」に通ずる、日本の群れの姿・日本人の本質といったものがここにも表されている。

「新/砂を数える」 -新世紀 Fake化する私-
「砂を数える」のカラーによる続編。日本のバブル経済が一挙に崩壊していく中、時代のバーチャル化様相を考察している。一つのベクトル方向に動かず、互いに距離を取って群れる姿から、以前の「群れ」の形が確実に変質してきていることを如実に捉えている。
デジタル技術を採り入れ、予測不能の現代像を展開している。

「続/俗神」 -日本のまつりを記号化-
「俗神」の続編として、お祭りそのものをカラーで制作。祭りの形を記号的に捉える。
1981年に浅草でおいらんを撮影したことがきっかけとなった。民俗学的な分類より、形のおもしろさに重点が置かれている。大判フィルムを使用して、スタジオ・ポートレイトのスタイルを戸外で実行。
形はかわっても断絶せずに続いてきた日本人文化の厚み、日本人文化の多様性を伝える。

「ヒロシマ三部作」
1973年頃より関りはじめた3部作によるシリーズ。ドキュメンタリストを自認する者として、フリーランサーになった71年頃より、原爆の惨事を記録する仕事をすべきだという思いから広島へ模索の旅に出る。実際に方法論を決定し、撮りだしたのは1976年。
被爆体験記「原爆の子」(1951、岩波書店)に出会ってから、数年かけて30-40代になった原爆の子の消息をたどり107人に取材した。(2004年末から2005年にかけて再取材し、「60年目のヒロシマ」として発表。)
3年後に、「ヒロシマ1945〜1979」。
さらに1979年、原爆遺跡を記録した「ヒロシマ・モニュメント」。
1980年に広島平和記念資料館の遺品、原爆資料の記録した「ヒロシマ・コレクション」へと続く。
「ヒロシマ1945〜1979」(1979年)
「ヒロシマ・モニュメントⅡ」(1995年)
「ヒロシマ・コレクション」(1995年)

「Aging」 -Dailyセルフポートレイト(1986年7月〜)- 
1986年から毎日、自分の顔を記録として撮りはじめる。
自分の老化に気づいたことが作品制作のきっかけとなった。老人社会や老化の問題を考えるとき、老人ホームの人たちを撮るありきたりのやり方ではなく、セルフポートレイトを定点観測的に撮影する方法を考え出し、現在まで続けられている。

投稿者 hiromikt : 00:29 | トラックバック (0)