2011年11月13日

「BERLIN」2011/11/13

前回からの続き

しかし、その後の継続的な撮影は、経済的理由、多忙、などで実現できず、のびのびに遅延してゆき「壁はそう易々とは無くなる筈はない」とも高をくくり、計画はストップした状態ででした。
ところが、1989年11月9日夜。当時のコール首相も予測し得なかったほど劇的に、まさに雪崩のように壁は崩壊しました。私は、衛星放送のライブ映像を眺めながら、このプロジェクトは終わりだな……と、清算したのでした。
それから9年後の1998年、「壁を喪失した風景」を撮ろう、と思い立ちます。そこには、冷戦構造の雪解けの風景が展開されているに違いない。さらに言えば、不可視となった壁を捉えたいという衝動に駆られ、撮影を決行。そして、その成果を個展「ベルリン1999」(クリエイションギャラリーG8/1999年)、写真集『THE BERLIN WALL』 (メディアファクトリー/2001年) として発表。

それから9年後の1998年、「壁を喪失した風景」を撮ろう、と思い立ちます。そこには、冷戦構造の雪解けの風景が展開されているに違いない。さらに言えば、不可視となった壁を捉えたいという衝動に駆られ、撮影を決行。そして、その成果を個展「ベルリン1999」(クリエイションギャラリーG8/1999年)、写真集『THE BERLIN WALL』 (メディアファクトリー/2001年) として発表しました。
しかし、その時すでに私は、2009年にもう一度同じ場所で定点撮影するという計画を考えていました。1999~2009年の10年間で壁の痕跡はさらに失せているに違いない、東と西は、風景として繋がっているはずだと、再びベルリンへ向かいました。  次回につづく

投稿者 nirhiro : 18:40 | トラックバック (0)