1939 | 0 | ・第二次世界大戦勃発 | ・日本工房が国際報道工芸に改組された ・土門拳が室生寺を訪れ撮影を開始 |
・福井県南条郡今庄町で、父・勇助(国鉄職員)、母・みさ(農業)の双子の弟として誕生。兄弟は姉2人、双子の兄。冬は雪に埋もれる豪雪地帯に育つ | ||||||
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1940 | 1 | ・大政翼賛会発表 ・日独伊三国同盟成立 |
・「日本報道写真協会」が土門拳らにより結成される ・ニューヨーク近代美術館に写真部門設立 |
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1941 | 2 | ・ミッドウェー海戦で日本海軍惨敗 | ・数種の写真雑誌が統合され『写真日本』『写真文化』『報道写真』創刊 | |||||||
1942 | 3 | ・日本軍が真珠湾を攻撃、太平洋戦争勃発 | ・対外宣伝雑誌『FRONT』東方社創刊 | |||||||
1943 | 4 | ・学徒出陣 | ||||||||
1944 | 5 | ・米軍、サイパン上陸 | ・R・キャパが連合軍のノルマンディー上陸作戦に従軍し、リアルな映像を『ライフ』に発表 | |||||||
1945 | 6 | ・広島・長崎に原爆投下。日本、無条件降伏 | ・広島の原爆投下直後の様子を松重美人、岸田貢宜らが、長崎では山端庸介が克明に記録した | ・終戦は楽しみにしていた演芸会が中止になったことぐらいの記憶。戦中、戦後も食べ物には困らなかった | ||||||
1946 | 7 | ・日本国憲法公布 | ・写真通信社「マグナム・フォトス」がR・キャパ、H・カルティエ=プレッソンらによりパリで設立される | ・堺小学校入学。1年から6年までずっと1学年1クラスで15人しかいなかった。成績はいつも兄が主席で、2番だった。母の農業を手伝いながら、兄と2人で遊ぶ | ||||||
1947 | 8 | ・六・三・三制教育の実施 | ・『週刊サンニュース』創刊(サン・ニュース・フォトス社、編集名取洋之助、49年廃刊) | |||||||
1948 | 9 | ・帝銀事件起こる | ・林忠彦が文士の肖像写真の連載を ・『毎日グラフ』毎日新聞社創刊 |
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1949 | 10 | ・湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞 | ・『アサヒカメラ』朝日新聞社復刊 | ・子供の頃は、本もあまり読まず、よく野原で遊んだ。夏は川で泳いで真っ黒になり、冬はスキーやソリ、兎の罠をしかけたりして遊んだ。兄とは喧嘩もせず、仲の良い友人のようにいつも一緒だった。小学校の頃から絵を描くことが好きだった | ||||||
1950 | 11 | ・朝鮮戦争起こる | ・『日本カメラ』光芸社創刊 ・『岩波写真文庫』刊行開始 ・東京写真短期大学 ・日本写真家協会(JPS)結成。 |
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1951 | 12 | ・サンフランシスコ講和条約 *パチンコ大流行 |
・「第1回日本写真家協会展」開催。 ・ライトパブリシティ設立 ・「第1回集団フォト展-日仏英米連合写真展」開催 |
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1952 | 13 | ・日航機三原山に墜落 *『君の名は』 |
・木村伊兵衛、土門拳が『カメラ』(アルス刊)の月例合同審査を開始。この審査評をきっかけに、写真雑誌や美術雑誌でリアリズム写真論がたたかわされる | ・今庄中学入学。1学年120~30人になり、成績の順位も下がるが、一生懸命勉強する。双子であることに注目されるのが恥ずかしくなり、通学時も兄と離れて歩くようになる | ||||||
1953 | 14 | ・NHK、NTVがテレビ本放送開始 ・奄美大島返還 *銀座に街路灯、復活 |
・土門拳の最初の写真集 ・「現代写真展-日本とアメリカ」 |
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1954 | 15 | ・ビキニ水爆被災事件 *マリリン・モンロー来日 |
・『カメラ毎日』毎日新聞社創刊 ・「マグナム・フォトス展」開催。 |
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1955 | 16 | ・第1回原水爆禁止世界大会 *トランジスターラジオ発売 |
・写真展「ザ・ファミリー・オブ・マン」 (企画/E・スタイケン、ニューヨーク近代美術館)開催 |
・県立武生高校入学。兄と同じクラスになる。「宏美」という名前のため間違えられ、女子生徒の名簿に入っていた。進学校だったため勉強はついていくのが精一杯だった | ||||||
1956 | 17 | ・日本、国連に加盟 ・日ソ共同宣言 *太陽族 |
・奈良原一高「人間の土地」開催 ・「ザ・ファミリー・オブ・マン」 ・ウィリアム・クライン写真集 ・「写真批評家クラブ」結成 |
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1957 | 18 | ・ソ連、世界初の人工衛星「スプートニク」打ち上げ成功 ♪「有楽町で会いましょう」 |
・「10人の眼」展が開催され、石本康博、川田喜久治、東松照明、佐藤明、奈良原一高、細江英公らが出展 ・H・カルティエ=プレッソン「決定的瞬間」展開催 |
・絵を描くことが好きだったが、父のアドバイスで工学部を受験することにした | ||||||
1958 | 19 | ・一万円札発行 *チキンラーメン |
・重森広淹が東京フォトスクール ・「日本主観主義写真展」開催 ・日本広告写真家協会(APA)結成。 ・R・フランク写真集『アメリカ人』刊(仏) |
・受験勉強もむなしく大学入試に失敗。兄も浪人した | ||||||
1959 | 20 | ・安保改定反対運動起こる ・皇太子御成婚 ・伊勢湾台風 ・キューバ革命 *深夜放送始まる |
・「VIVO」が川田喜久治、佐藤明、東松照明、奈良原一高、細江英公らにより結成(61解散) ・日本デザインセンター創立 ・R・アヴェドン写真集『オブザベーション』刊(米) ・35ミリ一眼レフカメラ「ニコンF」が発売される |
・福井大学工学部入学。科学を専攻。兄は、同大学で電気を専攻する。1年の時、初めてカメラを買ってもらい、写真クラブ(同好会)に入る。技術的なことはここの仲間と教え合っていた | ||||||
1960 | 21 | ・日米新安保条約調印・成立 ・閣議で国民所得倍増計画を決定 ・NHKほか、カラーテレビ本放送開始 *『太陽がいっぱい』 |
・土門拳『筑豊のこどもたち』パトリア書店刊 ・『コマーシャル・フォト』玄光社創刊 ・アーヴィング・ペン『とっておきの瞬間』刊(米) ・「マグナム世界写真展」開催。R・キャパら40人 |
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1961 | 22 | ・株価の大暴落 *マーブルチョコレート |
・64年開催の東京オリンピック公式ポスターが撮影早崎治、AD亀倉雄策、PD村越襄で制作 | ・アルバイトをして旭ペンタックスを買う。この頃から写真で食べていけたら、と思うようになる | ||||||
1962 | 23 | ・堀江健一、ヨットで太平洋単独砲弾 ・キューバ危機 ♪「遠くへ行きたい」 |
・細江英公が三島由紀夫をモデルにした写真展「薔薇刑」を開催(富士フォトサロン) ・「日本写真百年史展」(日本写真協会・国立科学博物館主催) |
・初めての個展「KU」をギャラリー汎 (福井市)で開く |
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1963 | 24 | ・三池炭鉱爆発事件 ・ケネディー大統領暗殺 *『天国と地獄』 |
・土門拳『古寺巡礼』第一集・美術出版社刊 ・「現代写真展1961-62」(東京国立近代美術館) |
・初めて応募した『カメラ芸術』4月号に入選 ・福井大学工学部卒業、ポーラ化粧品本舗入社、研究所勤務(静岡) ・2回目の個展「黒協奏曲」を静岡にて開催 ・会社の友人添谷諒司と詩集『24』を作る。写真のモデルは兄 |
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1964 | 25 | ・第30回オリンピック東京大会 ・東海道新幹線開通。首都高速道路開通 ・米軍のベトナム戦争介入開始 *みゆき族 |
・第1回太陽賞に荒木経惟『さっちん』が選ばれる ・オリンピック東京大会が開催され、新聞各社は超望遠レンズによるクローズアップを掲載。カラー写真も多用される |
東京勤務となる ・東京綜合写真専門学校研究科(夜間)に入学し、昼はサラリーマンをしながら写真を本格的に学び始める。後に一番大きな存在となる重森弘淹と出会う |
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1965 | 26 | ・米、ベトナム北爆開始 ・朝永振一郎、ノーベル物理学賞受賞 *『赤ひげ』 |
・立木義浩が「舌出し天使」を『カメラ毎日』に56ページにわたり掲載。詩寺山修司、解説草森紳一、構成、和田誠 | ・兄と共謀して、彼女(のちの妻・勝子)との待ち合わせに、自分の代わりに兄を行かせるといういたずらをした。 「何か違う」とすぐに気づいてくれ、安心した |
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1966 | 27 | ・大学紛争盛ん ・中国で文化大革命起こる ・日本の人口が1億人を超える *ビートルズ来日 |
・『話の特集』創刊。高梨豊、篠山紀信、立木義浩、横須賀功光らがグラビア項で写真を発表する ・東京造形大学開校、九州産業大学芸術学部に写真科設置 ・沢田教一「安全への逃避」にピュリッツアー賞 ・「コンテンポラリー・フォトグラファーズ」展(イーストマン・ハウス・米)開催 |
・東京綜合写真専門学校卒業。ポーラ管理部門にいた勝子と結婚。 ・由比ヶ浜を撮った作品でミノルタの日本大賞受賞。賞金で妻にピアノを買う |
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1967 | 28 | ・美濃部亮吉、東京都知事当選 ・公害対策基本法公布 ♪「世界は二人のために」 |
・森山大道「にっぽん道場」を『カメラ毎日』に発表 ・奈良原一高『ヨーロッパ・静止した時間』鹿島研究所出版会刊 |
・「新幹線」カメラ時代新人賞受賞 | ||||||
1968 | 29 | ・米原子力空母エンタープライズが佐世保港に入港。全学連と警官隊が衝突 ・川端康成、ノーベル文学賞受賞 ・3億円強奪事件 *『2001年宇宙の旅』 |
・『PROVOKE思想のための挑発的資料』(プロヴォーグ社、季刊)が同人岡田隆彦、高梨豊、多木浩二、中平卓馬、森山大道(第2号より参加)らにより刊行される。3号で活動を停止 ・『カメラ毎日』が「現代の写真」の特集の中で、66年開催の「コンテンポラリー・フォトグラファーズ」展の写真集をもとに「コンポラ写真」という言葉を生み、70年代の写真表現を方向付けた |
・「宣伝部に異動させてくれないと辞める」と掛け合って、同社宣伝部に異動。研究者から写真を撮る仕事へ。主に社内出版物の取材や撮影をする ・「ONE」カメラ毎日2月号。この作品から「宏美」から「ヒロミ」とする |
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1969 | 30 | ・東名高速道路全面開通 ・米のアポロ11号月面着陸 *『明日に向かって撃て』 |
・『季刊写真映像』創刊(写真評論社、編集桑原甲子雄) | ・浅草に通い「自閉空間」を撮り始める ・「帰郷」カメラ毎日2月号 ・「田楽の日」カメラ毎日7月号。自分ではあまり好きな写真ではなかったが、周囲の評価が高かった。重森弘淹に「土田は日本の祭りを撮るべきだ」と言われ、大きな転機となる |
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1970 | 31 | ・日本万国博覧会開催(大阪) ・全国で反安保統一行動77万人が参加 ・三島由紀夫が割腹自殺 ♪「夢は夜開く」 |
・多木浩二、中平卓馬他『まずたしからしさの世界をすてろ』田畑書店刊 ・中平卓馬『来るべき言葉のために』風土社刊 ・『アン・アン』創刊(平凡出版) |
・「CATS」カメラ毎日6月号 ・「MySister」カメラ毎日10月号 |
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1971 | 32 | ・沖縄返還協定調印 ・大久保清、8人の女性を誘拐後殺害 ・円、変動相場制へ移行 *『日本人とユダヤ人』 |
・『カメラ毎日』に自由公募の項「ALBUM」が設けられた ・荒木経惟が『センチメンタルな旅』を自費出版 ・日本写真著作権協会設立 ・マッド・アマノと白川議員の間に写真著作権侵害裁判発生(87年和解) |
・ポーラ化粧品本舗退社、以後フリーランスとなる ・東京綜合写真専門学校で教え始める。先生の手伝いに始まり、4、5年で1人で教えるようになる ・「自閉空間」個展(ニコンサロン・東京) ・第8回太陽賞受賞(「自閉空間」に対して) ・「嬬」カメラ毎日3月号。初めてヌード写真を撮る |
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1972 | 33 | ・第11回冬季オリンピック札幌大会 ・田中角栄首相中国訪問、国交正常化 ・連合赤軍による浅間山荘事件 ・横井正一元軍曹、グアムから帰国 *『恍惚の人』 |
・同人写真誌『地平』が黒沼康一らにより月刊で創刊 | ・長女さらさ誕生 ・「青い花」撮影開始 ・「絆」カメラ毎日1月~12月号。これらを中心にのちに「俗神」としてまとめることになる ・「いうこときかぬ足」アサヒカメラ4月号 |
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1973 | 34 | ・オイルショック。卸売物価暴騰 ・江崎玲於奈、ノーベル物理学賞受賞 ・米、ウォーターゲート事件 ・ベトナム和平協定調印 *『日本沈没』 |
・『写真批評』(東京綜合写真専門学校出版局)が発行重森弘淹、編集桑原甲子雄で隔月刊創刊(7号で休刊)
・東松照明が「太陽の鉛筆・沖縄」を『カメラ毎日』で発表 ・「ダイアン・アーバス写真展」(西武百貨店) |
・ブレ・ボケ写真がはやっていたこともあり、この頃から表現の様式にこだわるようになり、しだいにディテールの写っていないイメージ過多の写真になる。撮れない焦りの日々から救い出してくれたのが、海外の学生が作った写真集。初心にもどり、記録に徹し習作を作り続ける | ||||||
1974 | 35 | ・佐藤栄作前首相、ノーベル平和賞受賞 ・三菱重工ビルで爆弾爆発 ・国民総生産、戦後初めてのマイナス成長 *『ノストラダムスの大予言』 |
・「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィー」(構成/J・T・シャーカフスキー、山岸章二/ニューヨーク近代美術館)開催。秋山亮二、石元泰博、東松照明、土門拳らの作品約200点で構成される ・WORKSHOP写真学校が荒木経惟、東松照明、森山大道、細江英公らにより設立 ・「15人の写真家」展(東京国立近代美術館)開催 |
・キャノンの広告「自写像シリーズ」で、兄と自分を撮る ・「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィー」参加(ニューヨーク近代美術館・米) ・「湯治」カメラ毎日2月号 ・「この人をさがしてください」アサヒカメラ3月号 |
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1975 | 36 | ・沖縄海洋博開催 ・エリザベス英女王夫妻来日 ・南北ベトナム統一文書調印 *『ジョーズ』 |
・「木村伊兵衛の50年 その巨大なる奇跡」展開催 ・「日本現代写真史展」(日本写真家協会主催)が西武美術館での「終戦から昭和45年まで」をはじめ、写真ギャラリーでテーマ展が開催された |
・「砂を数える」撮影開始 ・「ヒロシマ1945~1979」撮影開始。ライター吹上流一郎と、被爆当時の子供の作文集『原爆の子』(岩波書店)をもとに、そこに被爆体験記をよせている107人の30年後を訪ね歩き始める ・「合わせ鏡」カメラ毎日4月号 |
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1976 | 37 | ・田中角栄前首相、ロッキード事件で逮捕 ・毛沢東死去、華国鋒首相が党主席に就任 ・ソ連空軍ミグ25、函館空港に着陸。米に亡命 ♪「およげ!たいやきくん」 |
・「CAMP」「PUT」「プリズム」など若い写真家による自主ギャラリーが開設される ・木村伊兵衛賞(主催朝日新聞社)が前年制定され、第1回受賞に北井一夫『村へ』を選定 |
・写真集『俗神』(オットーズブックス社) ・「拡散 大河内村の解体」アサヒカメラ10月号 |
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1977 | 38 | ・中国、文化大革命終結宣言 ・王貞治、本塁打756本の世界最高記録樹立 *『幸福の黄色いハンカチ』 |
・「今日の写真・展‘77」開催。自主ギャラリーなどで活躍する若手写真科48人を紹介 ・『ソノラマ写真選書』朝日ソノラマ刊 ・田原桂一「窓」がアルル国際写真フェスティバル大賞受賞 |
・「父母」撮影開始 ・「ファミリー」撮影開始 ・「現代日本写真家展」参加(グラーツ美術館・オーストリア) ・「ビューティフル・フレンド」カメラ毎日5月号 |
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1978 | 39 | ・新東京国際(成田)空港開業 ・日中平和友好条約調印 ・上村直巳、単独犬ぞりで北極点到達 *『未知との遭遇』 |
・ツァイト・フォト・サロンが日本初の本格的オリジナル・プリント専門の写真ギャラリーとして開設 ・「鏡と窓」展(構成/J・T・シャーカフスキー、ニューヨーク近代美術館)開催 |
・「パーティー」撮影開始 ・第3回伊奈信男賞受賞(「ヒロシマ1945~1979」にたいして) ・「ヒロシマ1945~1979」個展(ニコンサロン・東京) ・「砂を数える」個展(ミノルタフォトスペース・東京) ・「俗神」個展(キャノンフォトギャラリー・オランダ) ・「ファミリー」アサヒカメラ4月号 ・「パーティー」日本カメラ4月号 |
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1979 | 40 | ・サッチャー、初の英国女性首相に ・第2次石油ショック ・東京都知事に鈴木俊一当選 *『エーゲ海に捧ぐ』 |
・フォト・ギャラリー・インターナショナル(PGI)がオリジナル・プリント専門写真ギャラリーとして東京虎の門に開設 | ・「ヒロシマ・モニュメント」撮影開始。 ・「ヒロシマ・コレクション」撮影開始。 ・写真集『ヒロシマ1945~1979』(アサヒソノラマ社) ・「ヒロシマ・モニュメント」個展(ニコンサロン・東京) ・「セルフ・ポートレート・ジャパン」参加(ICPギャラリー・米) ・「日本の写真1848~現代」展参加(ボローニャ美術館・伊) |
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1980 | 41 | ・鈴木善幸内閣成立 ・第22回オリンピックモスクワ大会 *ジョン・レノン射殺 |
・『写楽』小学館創刊 ・『写真装置』写真装置舎創刊 ・「第1回パリ写真月間」が開催される |
・写真集『青い花』(世文社) ・「青い花」個展(ミノルタフォトスペース・東京) |
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1981 | 42 | ・福井謙一、ノーベル化学賞受賞 ・自動車の輸出量をめぐり日米貿易摩擦 *『窓際のトットちゃん』 |
・『写真時代』白夜書房創刊 ・写真週刊誌『FOCUS』新潮社創刊 ・『CAPA』学研創刊 |
・「おいらん道中」アサヒカメラ4月号。これが「まつり」を撮り始めるきっかけとなる ・「にんげん'81」アサヒカメラ1-12月号 |
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1982 | 43 | ・日航機、逆噴射で羽田空港前海面に墜落 ・ホテル・ニュージャパン火災惨事 ・東北・上越新幹線開通 ♪「待つわ」 |
・土門拳賞(主催毎日新聞社)が前年制定。第1回受賞に三留理男『国境を越えた子供たち』 ・『昭和写真・全仕事』(全15巻、朝日新聞社)が刊行され、土門拳、林忠彦、三木淳らの軌跡をたどる ・『世界写真全集』(全12巻、集英社)刊行開始 |
・写真集『ヒロシマの証』(岩波書店) ・『日本の聖域-神宮と伊勢路』(佼成出版社) ・「ヒロシマ・コレクション」個展(ニコンサロン・東京) |
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1983 | 44 | ・東京ディズニーランド開園 ・比の野党指導者アキノ、亡命先から帰国直後マニラ空港で暗殺される *『おしん』ブーム |
・『土門拳全集』(全13巻、小学館)刊行 ・土門拳記念館が郷里の山形県酒井市に開館 ・『PHOTOJAPON』福武書店刊行 ・「現代美術における写真 1700年代の美術を中心として」(東京国立近代美術館)開催 |
・「テント」撮影開始 ・『ヒロシマ1945-1979』(アサヒグラフ) ・『ヒロシマ』アサヒカメラ増刊号 ・「写真家によるシンポジューム&写真展」参加(グラーツ・オーストリア) ・「検眼図」カメラ毎日1-12月号 |
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1984 | 45 | ・グリコ・森永脅迫事件 ・第23回オリンピック・ロサンゼルス大会。ソ連、東側諸国不参加 *『風の谷のナウシカ』 |
・『フライデー』講談社、『エンマ』文藝春秋創刊 ・ピクチュア・フォトスペースがオリジナル・プリント専門写真ギャラリーとして大阪心斎橋に開設 |
・第40回日本写真家協会年度賞受賞 ・「パーティー」日本カメラ6月号 |
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1985 | 46 | ・日本電信電話会社(NTT)と日本たばこ産業株式会社がスタート ・日航ジャンボ機御巣鷹山に墜落 ・ソ連ゴルバチョフ共産党書記長に ♪「ウィ・アー・ザ・ワールド」 |
・『カメラ毎日』が休刊となり、写真界に大きな衝撃をあたえた ・北海道上川郡東川町が「写真の町」宣言を行い、「東川町国際写真フェスティバル」を開催 ・「つくば写真美術館100」科学万博に開設 |
・写真集『ヒロシマ』(佼成出版社) ・「ヒロシマ」個展(有楽町朝日ギャラリー・東京) ・「砂を数える」個展(ニコンサロン・東京) ・「ヒロシマ」個展 アメリカ各地巡回 |
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1986 | 47 | ・米スペースシャトル「チャレンジャー」が発射直後爆発 ・チェルノブイリ原発事故 *使いきりカメラ |
・「甦る幕末」(池袋、西武百貨店)開催 ・濱谷浩ICPマスター・オブ・フォトグラフィ賞受賞展「HAMAYAONHAMAYA」(銀座、松屋)開催 |
・「Ageing」撮影開始。毎日のセルフポートレートを撮り始める ・「日本前衛芸術展」参加(ポンピドーセンター・仏) ・「砂を数える」日本カメラ2月号 |
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1987 | 48 | ・国鉄、分割民営化によりJR新法人へ *『サラダ記念日』 |
・木村伊兵衛、土門拳、濱谷浩、渡辺義雄写真展「美しき日本」(東京庭園美術館)開催 | ・「Empathy」展参加(ビジュアル・スタジオ・ワークショップ・米) ・「雪まつり」アサヒカメラ1月号 ・「続・俗神」アサヒカメラ4・7・10月号 |
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1988 | 49 | ・第24回オリンピック・ソウル大会 *『となりのトトロ』 |
・日本初の写真部門をもつ公立美術館として川崎市民ミュージアムがオープン | ・写真集『禅の四季』(佼成出版社) ・写真集『聖地への旅-伊勢神宮』(佼成出版社) |
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1989 | 50 | ・1月7日天皇崩御。昭和から平成へ ・大型間接税「消費税」を実施 ・ベルリンの壁、40年ぶりに消滅 *『ダイ・ハード』 |
・独立した写真部門をもつ横浜美術館開館 | ・株式会社ニルヴァーナ設立 ・「MM21」撮影開始 ・写真集『奥の細道を歩く』(新潮社) ・「PhotographyNow」展参加(ビクトリア&アルバート美術館・英) ・「ヒロシマ」個展(ギャラリーDB-S・ベルギー) ・「EUROPALLA89JAPAN」展参加(アントワープ&シャルロワ・ベルギー) ・「テント」アサヒカメラ5月号 |
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1990 | 51 | ・東西ドイツ統一 *『ちびまる子ちゃん』 |
・飯沢耕太郎責任編集の『デジャ=ヴ』創刊 ・東京都写真美術館開館 ・「コニカプラザ奨励賞」の応募が始まり、第1回に港千尋の「赤道地帯」が選ばれる |
・写真集『砂を数える』(冬青社) ・写真集『パーティー』(アイビーシー) ・写真集『祥福寺僧堂』(佼成出版社) ・「パーティー」個展(ミノルタフォトスペース・東京) ・「東京・都市の視線」展参加(東京都写真美術館) ・「Fotografie Biennale Rotterdam2 / OPPOSITIONS」参加(ロッテルダム・オランダ) ・「パーティー」アサヒカメラ6月号 |
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1991 | 52 | ・雲仙普賢岳噴火 ・湾岸戦争勃発 |
・篠山紀信宮沢りえのヌード写真 『SantaFe』朝日出版刊行。ヘアヌードブーム始まる |
・「産業考古学」撮影開始 ・「Zokushin」個展(パリ国立図書館・仏) ・「産業考古学」アサヒカメラ5月号 |
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1992 | 53 | ・毛利衛さん、スペースシャトルで宇宙へ *もつ鍋 |
・キャノンが「写真新世紀展」スタート ・「写真3・3㎡展」スタート(ガーディアン・ガーデン) |
・東京綜合写真専門学校長就任 ・写真集『親鸞を歩く』(佼成出版社) ・写真集『阿久悠写真集』(日本放送出版協会) ・「Fotografie Biennale Rotterdam3 / WASTELAND」参加(ロッテルダム・オランダ) ・「ハンブルグの夏祭り」日本カメラ3月号 ・「産業考古学」アサヒカメラ4・6・9・12月号 |
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1993 | 54 | ・皇太子さま、雅子さま御成婚 ・総選挙で自民党過半数割れ ・細川連立内閣成立 *『マディソン郡の橋』 |
・コニカプラザ「新しい写真家登場」シリーズ発足 ・写真[人間の街]プロジェクト発足(ガーディアン・ガーデン) |
・「消費」撮影開始 ・「ヒロシマ・モニュメントⅡ」個展(ニコンサロン・東京) ・「ヒロシマ」個展(カナダ現代美術館・加) ・「産業考古学」アサヒカメラ7月号・「ヒロシマ・モニュメントⅡ」日本カメラ8月号 |
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1994 | 55 | ・村山富市社会党委員長首相に ・北朝鮮、金日成主席死去 ・大江健三郎、ノーベル文学賞受賞 *『大往生』 |
・セバスチャン・サルガド写真展「WOPKERS」(Bunka-mura)開催 ・ナン・ゴールディン+荒木経惟「TOKYOLOVE」(ザ・ギンザ・アートスペース) ・新潮社が「フォトミュゼシリーズ」を刊行 |
・「テント」個展(ニコンサロン・東京) ・「表象の王国」個展(福井) ・「産業考古学」アサヒカメラ2・11月号 |
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1995 | 56 | ・阪神大震災、死者6308人 ・地下鉄サリン事件、オウム事件摘発 |
・東京都写真美術館リニューアルオープン ・「記録・創造する眼 戦後50年 日本現代写真史展」(主催日本写真家協会、日本橋三越) ・ロバート・フランク写真展「ムーヴィング・アウト」(横浜美術館)開催 |
・写真集『ヒロシマ・モニュメントⅡ』(冬青社) ・写真集『ヒロシマ・コレクション』(日本放送出版協会) ・「核・半減期」展参加(東京都写真美術館) ・「FOTOFEST」展参加(ポートランド美術館・米) |
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1996 | 57 | ・O-157による食中毒多発 *たまごっち |
・「木村伊兵衛賞回顧展」「エイジアン・ビュー-躍動するアジア展」(東京都写真美術館) | ・東京綜合写真専門学校長退任 ・「JAPANTODAY」展参加 |
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1997 | 58 | ・神戸須磨小学校殺人事件 ・山一証券、北海道拓殖銀行経営破綻 *『もののけ姫』 |
・「失われた風景-幻想と現実の境界」 ・『荒木経惟写真全集』(全20巻、平凡社)創刊 |
・「KYO・TO・KYO」撮影開始 ・「CLONE」撮影開始 ・写真集『東海道五十三次を歩く』 ・「Ageing」個展(ニコンサロン・東京) ・「Kuns tFotografiund Design Japan Today」展参加(MAK-オーストリア美術館・オーストリア) ・「PeopleandLandscape」土田ヒロミ:柴田敏雄の二人展(ヒッチュバーグ美術館・米) ・「Ageing」日本カメラ11月号 |
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1998 | 59 | ・ヒ素入りカレー事件、青酸カリ入りウーロン茶事件など、毒物混入事件が頻発 *『タイタニック』 |
・「ピュリッツアー賞写真展」(全国を巡回)開催 ・「石元泰博展-シカゴ、東京」(東京都写真美術館)開催 |
・「米子国際フォトフェスティバル」展参加(鳥取) | ||||||
1999 | 60 | ・東京都知事に石原慎太郎 ♪「だんご3兄弟」 |
・『新世代の写真表現』展(水戸芸術館)開催 ・石内都写真展『モノクローム』(東京国立近代美術館フィルムセンター) |
・「ベルリン1999」撮影開始 ・「War Zone」展参加(Prezentation House Gallery・加) ・「第5回Internationle Fotorage Herten 99」展参加(ヘルテン市美術館・独) ・「産業考古学」アサヒカメラ3月号 ・「土田ヒロミを数える」個展(「ベルリン1999」クリエイションギャラリーG8/「ONE3」ガーディアン・ガーデン・東京) |
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2000 | 61 | ・森永グリコ事件時効成立 ・森喜朗第1次内閣発足 ・長野県知事に田中康夫当選 ・女子マラソン 金メダル ・九州沖縄サミット開催 |
・東京都写真美術館長に徳間康快就任 ・ニコンプラザ新宿 オープン ・東京都写真美術館「さようなら20世紀、カメラがとらえた日本の100年」開催 ・日本写真家協会50周年展「1000人の写真家が撮るーザ・ハート・オブ・ジャパン」開催 |
・「記憶と記録」展参加(Historishes Musum・独) ・「The Berlin Wall」追加撮影(独) ・中国 北京旅行する ・「Dancing」展参加(ピアッアドーム・伊) |
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2001 | 62 | ・小泉純一郎第1次内閣発足 ・大阪教育大学付属池田小学校殺傷事件 ・ニューヨーク世界貿易センタービルへのテロ ・皇太子妃雅子さま愛子さま出産 ・東京ディズニーシー オープン |
・DSL(デジタル加入者線)100万加入突破 | ・中国 上海旅行する ・東歐 旅行する ・「広重・東海道五十三次におけるー模写考ー」個展(ライトワークス 横浜) ・「俗神」個展(パストレーズ 横浜) ・「土田ヒロミ写真展」個展(大阪芸術大学展示ホール 大阪) ・『The Berlin Wall』写真集(メデアファクトリー) |
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2002 | 63 | ・新幹線(盛岡ー八戸)延長 ・ワールドサッカー日韓共同開催 ・田中真紀子衆議院議員辞職 ・「千と千尋の神隠し」アカデミー賞受賞 |
・佐藤明氏死去(71歳) ・オリンパス光学工業 OMシリーズ販売完了 ・富士写真フイルム「写ルンです」全世界出荷本数10億本達成 |
・独り娘・さらさ結婚 ・「FAKE ASPECT」個展(ニコンサロン 東京) ・「自閉空間」個展(パストレーズ 横浜) ・横浜(38年間)より東京へ転居 |
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2003 | 64 | ・米英軍によるイラク攻撃 ・新型肺炎SARSが中国などで大流行 ・阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝 |
・「The History of Japanese Photography」展に参加(ヒューストン現代美術館・米) | |||||||
2004 | 65 | ・新潟県中越地震 ・スマトラ沖地震 ・アラファト氏死去 ・中国、江沢民軍事委主席が退任 |
・カルティエ・ブレッソン氏死去 ・ヴォルフガンク・ティルマンス展(東京オペラシティイアートギャラリー |
・『改定.俗神』写真集(冬青社) ・「俗神」個展(パストレーズ/横浜) ・「土田ヒロミ回顧展」個展(大阪芸術大学センターホール/大阪) |
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2005 | 66 | ・小泉劇場、衆院選で自民党が296議席獲得 ・尼崎のJR西日本脱線事故 |
・ブロニカ、中盤カメラ事業を終了 ・杉本博司、展覧会『時間の終わり』 (森美術館) |
・『新・砂を数える』写真集(冬青社) ・「新・砂を数える」個展 ( パストレーズ/東京丸の内) ・『ヒロシマ2005』写真集(NHK出版) ・「ヒロシマコレクション」グループ展 (メキシコ) |
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2006 | 67 | ・安部晋三第一次内閣発足 ・秋篠宮妃紀子さま悠仁さま出産 ・WBC日本優勝 |
・コニカミノルタ、写真界からの撤退 ・三菱白黒印画紙、GEKKO生産終了 ・マミヤ、光学機器部門から撤退し解散 |
・イスラエルの壁を取材 ・「ヒロシマ2005」個展 (東京、大阪ニコンサロン) ・「旅」ギャラリーに参加 (パストレーズ) ・パリ写真月間にて浜谷浩と二人展 |
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